【文藝春秋・新谷 学×ビームス・窪 浩志 対談】同世代が語り尽くす、70〜80年代のアメトラ昔話

1950年代に日本上陸したアイビー&アメトラ文化は、70年代後半に復活し、80年代にかけて、世界に類をみないほどの発展を遂げていく。年季の入ったアメトラ愛好家としても名を馳せる文藝春秋の取締役・新谷 学さんと、「ビームス」クリエイティブディレクターの窪 浩志さんにご登場いただき、日本のアイビーカルチャーを肌で知るふたりの証言者に語り合ってもらった。

文藝春秋 取締役・新谷 学|1964年東京都出身。早稲田大学政治経済学部を卒業後、株式会社文藝春秋に入社。2012年から編集長を手がけた『週刊文春』では、徹底的なスクープ主義で〝文春砲〟を社会現象に導く。2023年6月同社の取締役に就任。年季の入ったアメトラ愛好家としても有名
「ビームス」クリエイティブディレクター・窪 浩志|1962年神奈川県生まれ。大学入学と同時にビームスでアルバイトを始め、卒業後に入社。ビームス ボーイなどの新規ブランドや、企業とのコラボレーションを多数手掛ける。神戸芸術工科大学の客員教授や、槇原敬之さんの衣装製作など、その活動はボーダーレスだ

70年代後半、 第二次アイビーの洗礼

——今日は取材班が遅れてしまい、すみません! しかし格式の高い文藝春秋社のロビーで、洋服を広げまくって話し込んでるおじさんふたりの姿に衝撃を受けました(笑)。

 いやあ、待ちきれなくてすっかり話し込んじゃいましたよ。それにしても新谷さんがお持ちになった物量にはいきなりヤラれました(笑)。

新谷 いや、窪さんに対抗するにはそれくらいしないとダメだと思って(笑)。

——それでは早速始めさせていただきます。まずはお二人について簡単に説明しておくと、ビームスのクリエイティブディレクターを務める窪さんと、有名な〝文春砲〟の生みの親である新谷さんとはほぼ同世代。しかもふたりとも、1970年代後半に勃発した第二次アイビーブームに大きく影響された、大のアメトラ好きと伺っています。そこで今日は、あの頃の話をじっくり聞かせて頂こうかと思いまして。

新谷 窪さんは私が1年のときの3年でしょ? ツッパリと体育会文化で育った自分的には、同世代と言っても少し怖いんですけど(笑)。窪さんは横浜出身なんですよね?

 はい。後から思えばですが、当時の横浜には独特のアレンジが施された、ちょっとバタ臭いアイビーやトラッド文化がありました。伊勢崎町のデパートに入っていた「VAN MINI」で母親にボタンダウンシャツを買ってもらったのが、僕が小3か小4の頃。それがアメトラとの出会いです。

新谷 それは早いなあ。私の地元の八王子はツッパリ全盛で、中学の頃はトロイのカーディガンに白のハイネックの世界ですよ(笑)。それが高校に入って仲良くなった友達の影響で、アイビーに目覚めるんです。「ボートハウスとかシップスに行こうよ」なんて誘われて。こんな世界があるんだって、衝撃でしたね。

——やはり『MEN’S CLUB』 や『POPEYE』のような雑誌の影響は大きかったですか?

 どちらかというと『POPEYE』でしたね。僕は中1の頃からサーフィンを始めて、スタジャンやネルシャツを着て、リーバイスの517か519にワラビー、みたいなスタイルがリアルだったんですよ。地元の横浜市教育会館では、2カ月に1回はサーフィン映画の上映会が催されていて、そこにはアメリカかぶれの大人がたくさんいました。周りにアメリカ人も多かったし、そういう人たちが僕のファッションの先生でした。そんな感覚からすると、東海岸推しの『メンクラ』はリアルじゃなかったんですよね。

——すごい早熟だなあ(笑)。

 僕的には当たり前だったんですけどね。でも、3つ上の姉の存在も大きかったかも。姉は文化服装学院に通っていたんですが、そのときのクラスメイトがネペンテスを創業した清水慶三さんで、よく家に来て遊んでくれました。そんな影響もあって、大学に入った年にビームスでアルバイトを始めるんですよ。

新谷 私は窪さんとは違って、どちらかというと東海岸の『メンクラ』派だったかな。高校時代は野球部で忙しかったので、本格的にアメトラにハマったのは大学に入ってからです。最初はボタンダウンシャツにウォッチポケットの付いたチノパンみたいな正統派アイビーだったんですが、入部したヨット部の先輩たちの格好が、どこか違うんです。オシュコシュのシャツにラヒューンのチノパン、ホーキンスの靴みたいな、ちょっとワークっぽいスタイルで。

 ありましたね、ラヒューン。「ラルフのチノパンつくってるパンツメーカーなんだぜ」とか言って(笑)。みんなあれに、コールハーンの甲の浅いモカシンを履いてた。

新谷 そんな先輩たちに刺激を受けて、私もレッドウッドやバックドロップみたいなショップに通い出すんですよ。

 その頃、渋谷の街にアメカジのセレクトショップがものすごく増えたんですよね。

新谷 そうなんです。それで好きが高じて、ヨット部の先輩に紹介してもらい、大学3年生の頃にブルックス ブラザーズでアルバイトを始めるまでになったんです。

 アメトラの総本山じゃないですか! 青山に1号店ができたとき(1979年)には、僕もすぐにポロカラーシャツを買いに行きました。めちゃくちゃ緊張したことを、今でも覚えています。

新谷 あの頃のブルックスって、威圧感が半端じゃなかったですからね。私も初めて行った時は、スタッフの薦めるがままにフルコーディネートを買っちゃいました。「レジメンタルタイの金のラインが、金ボタンに映えるんですよ」なんて言われて、「なるほど〜」って思ったもん(笑)。

——窪さんは原宿にあった頃のビームスのお店にいらっしゃったんですか?

 はい。91年まで。

新谷 めちゃくちゃ通ってましたよ。現在、ブルックスでアンバサダーを務めている大平洋一くんがバイト仲間だったんですが、仕事が終わった後に一緒に行くのが、ビームスやミウラ&サンズ(現シップス)。そこでもアルバイトのみんなと仲良くなって、一緒にお酒を飲みに行っては洋服の話をしてました。ビームスでは、丸山さんによく接客してもらったなあ。

 ああ、丸山! 今Sancaっていうブランドをやってる丸山剛彦くんですね。

——その界隈に窪さんもいたんですね。

 当時の僕は、主にレコード屋さんとつるんでましたけどね。宇田川町にあった「CISCO」のバイヤーとか。

新谷 音楽のジャンルは何だったんですか?

 恥ずかしいけど、完全にAORでした(笑)。

新谷 時代ですね(笑)。

 僕のためにレコードを取っておいてくれるので、それだけでお給料がなくなっちゃうんです(笑)。

——昔のショップスタッフって、今とは違って非常に濃かったですよね。

お客さんもバイトも熱い時代だった!

新谷さんがこの日見せてくれた写真の数々は、まさに1980年代のリアルなアメトラ&アメカジグラフィティ!

 〝売ってやってる〟感がすごかったかもしれません。

新谷 基本上から目線(笑)。窪さんもそうでしたか?

 僕はそうでもないけど、「これは似合わないですよ」とかは普通に言ってましたね。

新谷 しかもみんなマニアックでしたよね。青山にあったフレッドっていうお店の店長は、同じオールデンでも純正とブルックス別注はどう違うのかを調べるために真っ二つに切って、「こっちは中の層が1枚多いな」とか語ってましたよ。ほとんど病気だな、と思ってましたけど(笑)。

 でも、お客さんもすごかったですよ。当時は携帯なんてなかったから、自宅に直接電話をかけてくるんです。昨日買ったボタンダウンシャツがどうだったとか、疲れているのに2、3時間(笑)。マスコミの影響もすごかったです。だって、『POPEYE』か何かのスタイリングを真に受けて、ドジャースのスタジャンにヘルメットを被ってるヤツが学校にいましたから(笑)。

新谷 まあ、熱があったことは確かです(笑)。私も学生バイトだったのに、めちゃくちゃ売ってました。スーツを買いに来た若いお客さんに「就職活動ですか? マスコミ? 大変ですね〜」なんて言って情報収集して(笑)。当時は接客マニュアルもありませんでしたし。

大学時代はヨット部に在籍しつつ、ブルックス ブラザーズのアルバイトとしても活躍し、入社を誘われるほどの敏腕ぶりで鳴らした、シティボーイ時代の新谷さん。アメリカ旅行では現地店舗も訪れている

——加えて、当時は原宿対渋谷みたいな概念もあったんですよね?

 ビームスでは原宿のほうが濃くて、渋谷はいい意味で洗練されてる、みたいな違いがありました。

新谷 シップスはシップスで全然違う文化でしたよね?

 ちょっと真面目な感じでしたね。お客さんもいいとこのお坊ちゃんが多かったし。

新谷 シップスからはストリートの薫りはあまりしなかったですよね。ミウラ&サンズには若干あったけど。あそこは道玄坂の今でいう風俗街にあって、そのエリアだけはアメ横みたいな雰囲気でした。あと、ごちゃ混ぜの面白さをセンスでまとめ上げているビームスに対して、濃厚なアメリカ臭さを打ち出していたレッドウッドも元気でしたね。

 ラッセルモカシンとか、うちで扱っていないモデルをたくさん売っていたので、僕もよく買いに行きました。

——半径1キロで街のカルチャーがガラッと違うというのが、面白かったですよね。

 新谷さん、アメ横には行かれてましたか?

新谷 もちろんです。当時は渋谷の道玄坂にあったミウラ&サンズから原宿のビームスまで歩いて一通りいいものを見て、その後にアメ横に移動して値段を較べてから買う、というのが定番のコースでしたから。特に靴はアメ横のほうが安かった。今と変わらないのはヤヨイ、守屋、玉美、あとは中田商店くらいかな。

 ぼくはアメ横だと、ビートニクスという古着屋さんによく通っていました。アディダスのレアなスニーカーに強かったんですよ。

新谷 そうか、窪さんは古着好きなんですよね? 私は古着ってちょっと苦手なんです。〝新品を自分の色に染めたい〟派なんですよ。

 なるほど。僕はモノを買うときに、長く着ようと思わないタイプなんですよ。結果的に長く着ているものがある、というだけであって。

——アメトラ好き同志でも、そういう流儀の違いが面白いですよね。でも、ビームスで一番オールデンをお持ちなのは窪さんという噂ですし、物持ちはいいですよね?

 そうですね。でも息子にあげちゃったりしたから、今はそれほど昔の洋服は残っていないんですよ。

新谷 私も男の子が3人いるんですが、最近はそれを理由に色々なモノを買っちゃうんです。「いずれあげるんだからさ」なんて(笑)。

 もう偉いんですから堂々と買ってくださいよ(笑)。

とことんハマって気づいたこと

新谷さんの青春時代のハイライトが、1989年2月から3月にかけての、アメリカ買い付け紀行だ。L.A.からN.Y.まで、アメリカ大陸を横断しつつ、各地のアメトラスポットで本場ものを買いまくるという、セレクトショップバイヤーも真っ青のふたり旅へ

——窪さんがお店に立たれていた時代は、どんなものが売れていたんですか?

 80年代前半は、ビームスのロゴ入りスウェットがめちゃくちゃ売れてましたね。あとはオシュコシュのシャンブレーシャツ、レッド・ウィング、冬だとゴールデンベアのスタジャン、エディバウアーのダウンジャケット……。まさに今日、新谷さんが持って来られたようなものですよ。

新谷 ほとんど持ってる(笑)。ビームスにレッド・ウィングのアイリッシュセッターを買いに行った時は、「本当に好きな人はこっちじゃないですか?」と言われて、ハーマンというブランドのワークブーツを買いました。

 言われましたか。当時は仕入れが追いつかない時代だったんですよ(苦笑)。

新谷 ビームスは当時からあらゆるものが早かったですからね。フレンチラコステも、フレッドペリーのUKモノも。ニューバランスだって、ダントツに早かったですよね?

 そうですね。『1300』は、最初はインターナショナルギャラリーで扱いました。あの頃で3万9000円もしたので、スーツを着るようなラグジュアリーな人たちに向けて売ったんです。

新谷 あれは高すぎたから、私はハワイに行く人に買ってきてもらいました(笑)。

ニューメキシコでは、オルテガ家の当主から直接チマヨベストを購入するという僥倖にも預かったとか

——本日、奇しくもおふたりが履かれているオールデンも、ビームスが扱ったのは早かったですよね?

 オールデンは創業当初の頃から扱っていますね。〝ブルックスの靴をつくっているメーカー〟という売り文句で。

新谷 私が初めてオールデンを買ったのはアメリカでした。文藝春秋に入社する直前、1989年の2月から3月にかけて、友人とレンタカーを借りてロスからニューヨークまで買い物旅行をしたんです。

 自分たちのものを買い付けに行ったんですね(笑)。

新谷 そうなんです。旅の途中で買ったものを段ボールに詰めて、日本に送って。あの頃がアメトラ好きのピークだったな。でも、徹底的にハマって、現地まで行ってみてわかったのは、アメリカのガチなワークやミリタリースタイルは必ずしも格好よくなかったりするという現実(笑)。こっちは別に、アメリカのワークマンになりたいわけじゃないですからね。

 そういう意味では、僕も原理主義的なこだわりはないです。一番輝いていた時代のブルックスやポール・スチュアートだって、英国やイタリアものをたくさん品揃えしていたわけで、それこそがリアルなアメトラなんですよね。

新谷 私も、以前はラコステならフランス製以外認めない原理主義者でしたが(笑)、そういう経験を通してだんだん視点が変わってきました。自分の「好き」を突き詰めた上でセレクトしたものは、どこ製だろうと格好いい。だから最近は、日本製ラコステだってよく着てますよ。

オルテガ家の当主から直接購入したチマヨベストがこちら。30年以上経った現在でも大切に着ている

窪さんが愛する当時モノ

同時代のアメトラを知る存在として親近感を抱く、鈴木大器さんが手掛けるエンジニアドガーメンツのジャケットとサロペットに、ブルックス ブラザーズ ブラックフリースのボタンダウン、ブルックス ブラザーズのタイ、オールデンの外羽根パンチドキャップトゥ。

青山のショップで初めて買ったブルックス ブラザーズのボタンダウンシャツ。「最近は恥ずかしすぎて、6つボタンは逆に着られない(笑)」

1970年代後半〜80年代前半にかけてラルフ ローレンが展開していた、GAPとのコラボレートによる幻のレーベル「ポロウエスタン」のチェックシャツ!

N.Y.を拠点に活動していたデザイナー、ヴィッキー・デイヴィスのネクタイ。「これは80年代後半に、アルマーニタイプのジャケットに合わせてました」

新谷さんが愛する当時モノ

アルバイト時代の同僚でもある大平洋一さんと生地を選びパーソナルオーダーしたコットンスーツに、別注のキャンディストライプのラウンドカラー、レジメンタルタイという、ブルックス愛溢れるスタイル。足元のオールデンも、もちろんブルックスの別注ものだ。

1989年のアメリカ買い付け旅行の際にニューメキシコのチマヨ村で購入した、オルテガのチマヨベスト。

伝説の名店バックドロップで作ったバトウィンのスタジャン。ヨット部時代の愛称である“WAKADAISHO”の刺繍が!

ウディ・アレンに憧れて買ったボストニアンのサドルシューズ。「90年頃、原宿キャシディで八木沢さんから買いました」

バイト時代に安く購入した、今はなき若者向けのセカンドライン〝ブルックスゲート〟のホップサックのブレザー。

学生時代からはいている米軍のベイカーパンツも、80年代のヒットアイテム。新谷さんはリペアしながら愛用。

(出典/「2nd 2023年11月号 Vol.199」

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2nd 編集部
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